気楽にママblog。

素直な気持ちを書くことで自分らしさを取り戻す日記です。

過去の自分、トラウマとの闘い。

私は中学を卒業してから高校へは行かずモデルの仕事をしていました。

もちろん、モデルのお仕事だけでは食べていけないのでアルバイトもしていました。

18歳の時、イベントコンパニオンのオーディションに行きました。

面接官の人が気に入ってくださり、4人グループのキャンペーンガールのオーディションがあるから受けてみないかと言われました。

年間契約のお仕事はとてもありがたいお話なので私は受けることにしました。

歌もダンスも経験のない私ですが、この時初めて本気で努力しました。

アイドルの人やダンサー、ミュージカルをやっている人など色んな女の子がいました。

人前で歌ったりダンスしたり、本当に恥ずかしくて‥

今までのオーディションも、歌や演技などを求められる事が多く、なかなか恥ずかしさを無くすことが出来ずにいました。


なんとか努力が認められ、私はメンバーに選ばれる事が出来ました。

他のメンバーより歌もダンスも劣っているため、ついていくのが本当に大変でした。

キャンペーンガールは全国のカー用品店やサーキットに行き、ステージ上でパフォーマンスをして商品のPRをします。

テレビやラジオ、雑誌のお仕事もありました。

グラビア撮影が多く、私はファッション雑誌やファッションショーのお仕事がしたいと心のなかで思っていたので毎日とても複雑でした。

でも、今頂いているお仕事は全力でやらなければと思いなんとか1年の契約が終わりました。

さてこれからどうしよう‥事務所を探さないとと思っていたのですが

このメンバーでもう1年やって欲しいとお話があり、そのときの気持ちははっきりと覚えてないのですがまた同じ4人でやることになりました。

私たちは3代目だったのかな?同じメンバーで継続は初めての事だったので、私たちはもっと活躍してメジャーになりたいと思いました。

そんななか始まったオートサロン、ステージの後ろで和やかに出番を待っていたのですが突然下腹部に激痛が襲ってきました。

初めての痛さに失神寸前でした。

ほとんど記憶がないのですが、スタッフの方が病院につれていってくださり、診断の結果「卵巣内出血」でした。

卵巣がねじれて、子宮で出血しているとのことで1週間そのまま入院になりました。

メンバーやお仕事に関わっているすべての人に迷惑をかけてしまうことに申し訳ない気持ちと、

あぁ、もう妊娠できないだろうな‥と本当に落ち込みました。

退院し、オートサロン最後のステージの1曲だけ出ることが出来ました。

もう続けられないな‥色んなことを考えて悩んでいました。

そんななか、歌の先生のお知り合いの女性の方が専属のマネージャーになることになり

私はその人をとても信頼していました。

仲良くなるにつれて、メンバーや会社の人の噂というか‥裏ではこんなことしてるよ、言ってるよ、なんてことを話されるようになり

私は不信感でいっぱいになり、誰も信用できなくなっていきました。

お金のこと、大人の事情、ブラックな裏側を聞かされ

私は仕事にも身が入らなくなっていきました。

もうこんな業界嫌だな、ここから逃げたいなと思うようになりました。

そして人生が変わる大きな問題を起こしました。

マネージャーさんが、私のあることないこと都合のいいように言いふらし、

自暴自棄になった私は「やめてやるよこんなところ」と言ってしまいました。

その後、お世話になっていたスタッフの方ときとんとお話をして

正式にグループを脱退することになりました。

私はこの時、こんなどろどろして汚いところに居たくないと思っていました。

メンバーには本当に申し訳ないと思いますが、そのときの私は、「私なんか居ない方がいいんだ」と思っていました。

今でも、歌の先生やスタッフさんとは連絡をとっていて、メンバーの1人と電話で話す機会があり、泣きながら謝りました。

当時は周りの人のせいにしていましたが、決めたのもやったのも自分、全ては自分の責任だと理解しています。

いくら若くて怖いもの知らずだったとはいえ、反省しています。

まだメンバーの2人とは話せていないし、きっと許してもらえないんだろうと思います。

それくらい無責任なことをしたと思っています。

後悔している出来事の1つです。



これからどうしようか悩んでいましたが、
以前グラビアのお仕事でお世話になった社長さんの事務所に入ることになりました。

仕事の内容はやはり、グラビアがメインでした。



このままでいいのか、毎日毎日自問自答していました。

当時付き合っている人もいて、結婚もしたいし子供も産みたいと思っていました。

この時も私は周りの環境のせいにしていたと思います。

ファッションモデルがしたいのに‥水着の仕事ばかり‥思うように仕事がシフトチェンジ出来ずにイライラしていました。

25歳迄には結婚して子供も欲しい。でもこのままじゃ結婚も出来ずモデルの仕事もどうなるか‥

本当に辛かったけど、母親にモデルの仕事をやめたいと話しました。

母はがっかりすると思っていましたが、今まで辛い思いさせてたのに気がつかなくてごめんと謝っていました。

小さい頃から、あなたはモデルになりなさいと言われていたので、モデルを辞めたいと言うことは本当に覚悟が必要でした。


そして人生の目標を失った私は、これから何を目標にどんな仕事をすればいいのか、全くわからなくなってしまいました。

中卒で資格もなく、やりたいこともなく、

終わってますよね‥。

私のネックは、「中卒」なんです。

モデルの仕事がなくなって、全てに自信がなくなってしまったんです。


考えて考えて、こんな私でも誰かの役に立てるなら

力になれるなら‥

介護の仕事につくことにしました。

文章が下手で長くなってしまいましたが、まずは受け入れなければならない1つ目の過去を思い出しながら書きました。

続きはまた書きます。